群ようこさんは私の好きな作家の一人だ。失礼なことに彼女の本業である小説の方は読んだことがないのだが(以前触れた詩人の銀色夏生さんの詩を読んだこともないし、本当に失礼だ)、群さんのエッセイは本当に面白い。タレントぞろいの周囲の人たちとの日常を飾り立てることなく、自然体で面白おかしく綴っている。何より興味深いのは群さんの飼い猫「しいちゃん」と、お隣の友人の飼い猫「ビーちゃん」が頻繁に登場することだ。
「しいちゃん」がまだ若いのに対し、「ビーちゃん」はもう16歳。いろいろと体にもガタが出てきている。短編エッセイ集の「ヒヨコの猫またぎ」だが、その中の一編に考えさせられるものがあった。それは「ビーちゃん」を通して、老いていく動物の介護という問題に触れていた(幸いなことにまだ「ビーちゃん」には必要ないのだけれど)。ちょうどピーコさんのブログでもこの問題に少し触れられていたので、私にはタイムリーな感があった。 群さんの書かれていることと、生まれた時から家に猫がいた私の体験はほぼ重なっていると思う。昔は「犬畜生」に専用のエサを与えることなどなく(もちろんグルメな犬猫用の物などなかった!)、犬猫はみんな「猫マンマ」やダシを取った煮干の出し殻などを当然のように食べていたし、町には獣医さんがいたが、病気の犬や猫を病院に連れて行くという行為は一般的なものではなかった。 飼い猫がなんとなく元気がないなあと思っていると、そのうちご飯も食べず、外にも出かけず寝ているのが目に付くようになり、いつの間にか姿が見えなくなってしまう。そういうことを何度も経験してきた私の祖母は、「死に場所を探しに行ったんだよ。猫は死ぬところを決して人には見せないんだよ」とよく言っていた。子供としては納得できないし、そのうちきっと帰ってくることを信じて待っているのだが、だんだんと心の傷は癒えてくる。そうしているうちに、また新しい猫と出会うのだ。つながれている犬は別として、猫とはそうやって暮らしていたからまさに私にとって猫は「いる」か「いない」かのどちらかであり、その死を看取ったことは一度もない。完全室内飼いは私が独立して初めて出会ったキジと、その後迎えたゆずの2匹だけである。 昔は猫は自由に外に出かけていくのが当たり前だったが、庭のないマンションが立ち並び、仮に庭があっても交通事情や近所づきあいなどの面から外に出すのが困難になってしまった。こうして猫にとっては自分の死に場所も自分で見つけられず、自分で選ぶ自然死というのがなくなってしまい、気の毒な状況ではある。だが、そのかわりに安全な室内でおいしい物を食べられるようになり、長生きができるようになった。 と同時に、外に出なくなった猫には不慮の事故や自然死がなくなり、飼い主は介護や死という問題と直面するようになったのだ。かけがえのない家族を介護したり、その死を看取ったりするのは当然のことで、必要があれば現在の職を辞してでもやり遂げるつもりだが、どんなに辛いかは今から想像を絶する。「ペットロス」という言葉はよく聞くが、それはまさに自分自身をも失うことかもしれない。
by cyril-aw11
| 2007-12-14 13:47
| 猫
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