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気になりつつ、行っていなかった店 その3

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まずはもぎ子さんsvetlaさん御用達、小諸のパン屋「香色」へ。周囲が田んぼや普通の分譲地なので目印がなく、小田井の交差点からSAVE ONと御影神社だけを頼りに、svetlaさんに教わった道順をトレースして無事に到着。

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道路側からは普通のモダンな住宅にしか見えないが、駐車場に回ると古民家風。

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残念ながらバゲット類は早くもほとんど売り切れだったが、惣菜パン系をいくつか購入。こんな紙袋に入れてくれるのが何とも懐かしく、温かみがあってとてもいい感じ。何だかほんわかする。

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フォカッチャサンド、べべ、そして例の「片山ミート」のソーセージをはさんだクロワッサンが特に我が家のお気に入りとなった。店員さんの感じもいいし、どれも美味しい。

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次に森の扉さんが紹介されていた浅間サンライン沿いにある道の駅「雷電くるみの里」へ、年末年始の食材を買い溜めに向かう。

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全ての野菜に生産者の名前が入っている。そして、こんなかわいらしい絵の入った七草セットも。描いてくれているおばあちゃんの顔が浮かび、うれしくなってくる。中央の羽子板セットのものを購入。何とも味がある。

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「お食事処 湯の丸」で少し遅い朝食を摂る。納豆定食500円。どんぶり一杯のご飯に味噌汁、生卵と小鉢に漬物。500円では十分すぎる量だ。長距離運転手さんたちには強い味方だろう。おばあちゃんの家で飲んだような味噌汁も素朴でよかった。

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さて「くるみの里」はいいとして、「雷電」って何?とずっと不思議に思っていたが、ようやくその謎が解けた。帰りがけに隣にある「雷電展示館」に入る。小諸出身の無双力士だったんですね。新米信州人の我が家は全く知らず、失礼しました。

幼少の頃、激しい夕立の中、入浴中だった母親を風呂桶ごと抱えて家の土間に運び込んだとか、碓氷峠を荷を積んだ馬をひいていると前から加賀百万石の殿様の行列に行き会い、狭い道ですれ違えないので、荷を積んだ馬の足を持って目より高く差し上げて行列を通し、殿様にほめられたなどなど、尾ひれは付いているのだろうが、なかなか面白いエピソードが残っている。

江戸相撲に入門後は天与の素質であれよあれよの間に大関まで昇進、実に16年27場所の長きに渡りその地位を保持、9割6部2厘(!)という古今最高の勝率をあげたという。当時の番付表なども展示してあり、そこでふと疑問が。それほどの実力者がなぜ大関止まりで、横綱でなかったのか?しかし、それはこういうことらしい。↓

当初は大関の中で横綱を付けられる者のことを「横綱」と呼んでいた。このことから横綱になることを「綱を張る」と表現する。また、横綱は、当初、横綱免許を持つ大関に対する名誉称号に過ぎなかったため、番付では大関が最高位であった。それゆえ、現在なら当然横綱に値するような成績を残しながら横綱免許を受けなかった強豪大関も少なくない。当時の力士は多く大名の御抱えであり、その力関係や派閥争いの影響で、横綱を逃すケースもあったと考えられる。

このように第16代横綱・西ノ海嘉治郎の時代までは横綱は名誉称号という性格が強かったが、1890年(明治23年)五月場所からは番付に横綱の文字が掲載されるようになった。そして、1909年(明治42年)2月には相撲規約改正に伴い横綱の称号が地位として定められることになった。(以上、Wikipediaより)

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現行の最高位が横綱という制度は明治以降のことらしいのだ。当時の最高位は大関だったということで納得し、展示館を後にした。
by cyril-aw11 | 2008-12-29 23:59 | 気になる店
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