<   2008年 04月 ( 8 )   > この月の画像一覧

ヌシ、再び

ヌシさんが久しぶりに我が家を訪問してくれた。
キジもゆずも、突然の黒船来航に大騒ぎ(笑)。
f0158627_16205111.jpg

日課のマーキングも怠りなし。キジが確認に走る。
f0158627_16215622.jpg

前回よりも痩せていて元気がないご様子。弱々しい泣き声を上げられていたので、命をつなぐせめてものおやつを差し上げる。
f0158627_16234227.jpg

しばらくの間、「もっとくれないかなあ」とお待ちになっていたが、あきらめてご退出。かわいそうで仕方なく何とかしてあげたいが、何もできない自分が歯がゆい。地元の顔として外を闊歩している彼を家猫にすることなど不可能だし、そもそもそんなことを望まれてもいないだろう。でも心配だ。どうか彼が精一杯生きぬけますように。
f0158627_16272045.jpg

[PR]
by cyril-aw11 | 2008-04-27 16:30 |

建築家との家づくり その2

建築起用となるとどうしても敷居が高く感じられるが、実際のところはどうなのだろうか。
少し考えてみた。

・建築士vs建築家
 工務店やハウスメーカーなどの施工会社にも必ず専属、もしくは提携する建築士がいる。この人たちと建築家はどう違うのか?これは明白だ。彼ら建築士の設計料は給与として、もしくは技術料として施工会社から支払われる。だから設計料として徴収されることはないが、建築工事費に含まれており、実は施主が負担しているのだ。また彼らは監理も行うが、当然立ち位置は施工会社側だ。施工者側の利益の代弁者とも言える。一方で、建築家は施主の代理人として施主側に立って判断を下すという違いがある。

 プラン作成においても、施工会社の建築士は、基本的に営業担当や施工会社の指示通りに図面を描くことになる。例え何かがおかしいと思っても、予算やある一定のパターンがあるので、それを乗り越えた提案はまれなことだろう。建築士はあくまで施工会社側の人間だからである。一方で建築家は施主が間違っていたり、あまり適切ではない要望を出したときは専門家として判断しそれを正すこともあるが、それはあくまでも施主の利益のために行われるという違いがある。

・建築家は割高か
 建築家の設計監理報酬はだいたい総工事費の10~15%。住宅の規模、複雑さ、構造、工法によって割合は変わり、総工事費が低い場合や手の込んだ設計の場合には15%を超えることもあるし、逆に総工事費が高い場合は10%以下のこともある。建築家の仕事は単に設計図を描くだけではなく、図面の説明を施工業者にし、週1回ぐらいの割合で現場に足を運んでチェックし、施主に報告する。また施行中に発生した変更を調整し、最善策を考えたりもする。これにより施主と施工業者間の意思疎通も図られることになるのだ。

 このように監理は施工が図面通りに進むように、図面だけでは伝わらない詳細な部分を事前に施工スタッフに伝えたり、見積もり通りにできるかどうかをチェックしながら家が完成するまでを見ていく仕事で、非常にハードで時間がかかる。建築家は施主の代理人ではあるが、施主や施行業者と対等の立場に立って三者それぞれの力を結集させ、いい家造りができるように舵を執っていくのが仕事なのだ。

こう考えてくると、いい建築家との家づくりは建てる前から自由に自分たちの希望が出せる上に、施主に代わってプロとして最後まで施工をもチェックしてくれる安心なものであり、支払う総工事費の1割程度という設計監理料以上の大きなメリットがあると言えるだろう。
[PR]
by cyril-aw11 | 2008-04-22 13:30 | 家造り全般

お母さん猫にサムライの品格を見た

f0158627_12483249.jpgいつも通勤途中に見かけるノラさんのうちの一人が、お母さんになっていた。すごい雨風の中で一人、とある倉庫の陰で仔猫たちをしっかりと守っていた。

ナーバスになっていることは分かっているので遠目に見ただけだけど、それでもお母さん猫の目は鋭く私を捉えていた。これまでのんびりと交流を楽しんでいた時とは違う、緊張感のあるお母さんの目。何があってもこの子たちの命を守りぬくんだという、覚悟と決意に満ちた目。その気高さに押され、思わず涙腺が緩んだ(写真は恐らくお父さん猫)。

そのお母さん猫の姿に、昔読んだあるトルコ詩人の「日本人たち」という詩を思い出した。日露戦争で東洋の小国・日本が大国ロシアを破った後、日本にシンパシーを感じたモハメット・アキフ・エルソイという国民的詩人はその詩の中でこう書いている。

日本人とはどういう人びとなりや
(中略)
ささやくやうな声で語りあふ 信心深き人びと
小さな軀に偉大な魂を宿し 立派な国づくりに励んでいる人びと
あの偉大な東郷(元帥)には 尊大さのかけらもなかりし 
それは格別な印象
ともに茶をすすれば すかさず自ら注ぎ給ひしなり

この詩の中には体こそ小さくとも、大きな誇りと気高い魂を備えたサムライたちの姿がある。サムライたちが霧消してしまった現代の日本で、その「品格」をお母さん猫の中に見た。
[PR]
by cyril-aw11 | 2008-04-18 12:57 |

建築家との家づくり その1

昨日のような家造りを進めていく上で、建築家とのパートナーシップが不可欠であると「軽井沢に家を建てよう!」と心に決めた時からずっと思っていた。デザイン上のことももちろんあるが、その最大の理由は「味方」が欲しかったからに尽きる。施主は自分の家を建てるとは言っても、建築に関しては所詮素人だ。もちろん人生最大の買い物をするに際し自分なりにはかなり勉強してきてはいるが、それでもプロではないしなり得ない。それは施行者が提示してくる提案や見積もり、素材の選定などが果たして妥当なものかどうかがを判断できないということだ。だからこそプロである建築家に自分の側に立つ代理人として、自分の求めるものを代弁してもらったり、代わってチェックしてもらったりしたいと考えている。

そんな自分の求める「建築家像」は以下の通り。

(1)「先生」ではなく、「パートナー」
 正直な話、建築家の敷居はとても高い。設計・監理料という本体工事代金とは別の経費が発生するという金銭的な面はもちろん、どうやって自分に合った建築家を探せばいいのかという方法論もそうだが、何よりベレー帽を被り、口ひげを生やして難しそうな顔をしたいわゆる「先生」のようなイメージ(笑)こそが、一般人から建築家を遠ざけている主因ではないだろうか。私どもはそういう「先生」にご自分の前衛的、実験的で奇抜なデザインの「作品」を作って欲しいわけではない。猫たちとともに居心地良く日々を暮らせ、家にいるのが楽しいと感じられる「生活空間」が欲しいのだ。その為、私どものコンセプトや希望を最大限生かしつつも、構造上不可能だったりおかしなことは指摘して、別のプロならではの提案をしてくれる、施主及び施行者と3者で住人重視の「暮らしやすい家造り」を一緒に進めていける建築家が必要だ。

(2)外(張り)断熱通気工法の構造やコンセプトを理解し、共感してくれる
(3)寒冷地、特に軽井沢の建築に精通している
 好きで何度も訪れている軽井沢。でもそこで暮らしたことはなく、生活者としての知識は乏しいと言える。長野県は寒冷地であり、その中でも軽井沢はまた独特の気候や植生が見られるため、生活者の視点を忘れて素敵なデザインを求めても必ず不都合が表れてくるだろう。私どもはとにかく軽井沢の長く厳しい冬でも暖かく過ごせることを第一に考え、外(張り)断熱通気工法による高断熱・高気密住宅を計画したため、それを踏まえた上で購入した土地の地勢や植生に合った建物を設計してくれることを望んでいる。自ずと東京から出張してくる建築家よりも、地元に根ざし実績の多い建築家に魅力を感じる。

(4)コスト管理、現場監理に長けている
 言うまでもなく私どもは金持ちではなく(笑)、ギリギリの予算内でできるだけよいものを造りたいと考えている。「作品」ではなく「生活空間」を造り上げる上で、そのコスト管理は極めて重要になってくる。また離れた地で仕事を持っている身としては、頻繁に現場に顔を出すのは物理的に厳しいし、よしんば出せたとしても素人である施主にそれが妥当な工事であるかを判断するのは不可能だろう。それだけに建築家には施主の代理人としてマメに現場に足を運んでその現場をしっかりと監理、施主への報告やアドバイスをして欲しいと考えている。

(5)建物と外構をトータルとしてデザインできる
 昨日も書いた通り、最初から建物・エクステリア・植栽のトライアングルを一体としてデザインし、順次進めていく方法を採りたいと考えている。特に庭いじりを趣味とする私としては樹木や植生に興味があり、土地と周辺環境をうまくつなげ連続性を構築できる建築家を望んでいる。

(6)なるべく自分たちと年齢が近く、できれば女性
 「作品」をいただくのではなく、「生活空間」を一緒に作っていくパートナーと考えた場合、あまり大きく自分たちと年齢が離れた方より、なるべく同世代の色々な面で感覚が近い方がいいのではないかと思っている。お年を召した「先生」が、それまでの自分のキャリアに基づいた仕事の進め方や考え方を自分たちの求めるように変えてくれるとは考えにくいし、新しい取り組みに対する積極性にも乏しくなるのが自然だと思われるからだ。私はそうした「新しいことへの取り組み」の姿勢を測る一つの指標に、WEBサイトとメールのやり取りを見ている。また生活者重視の「暮しやすい家」を造る上で、女性ならではの視点、つまり机上の空論や奇をてらったものではなく、地に足のついた暮らしのアイディアを取り込んでもらえたらとも考えている。

この項続く。
[PR]
by cyril-aw11 | 2008-04-17 16:56 | 家造り全般

家造りの基本コンセプト

久しぶりに家造りの話を。
土地は縁が結ぶ話なので、とりあえずその地に建てる上物のコンセプトメモ。

(1)冬暖かく、夏涼しい家
 寒冷地である軽井沢の冬を暖かく快適に過ごすため、外断熱(外張り断熱)通気工法による高気密・高断熱住宅をその基本構造とする。その一方で、冬以外のさわやかな季節を感じながら過ごすために自然の風や光の取り込みが可能な家造りとし、単なる「内に閉じられた箱」とならないよう十分留意する。

(2)猫も人も幸せな家
 私ども人間だけでなく、2匹の猫にとってもあらゆる面で快適にのんびりできる一方、活動的にも過ごせる空間となるような設計とする。いったん閉じれば外界から隔絶できるシェルターであると同時に、自分の意思でそれを開いた時には内外の連続性が確保でき、そうした外界の空気や自然の息吹を猫も人もともに満喫できるような方法を考える。ペット共生型住宅の先駆者はへーベルハウスであり、そのノウハウや細かなディテールは大きなヒントになる。

(3)「星のや」のような和モダンな家
(4)森の中に佇み、プライバシーが保たれる家
 「星のや」はすでに何度もこのブログに登場しているmy favorite hideaway。山間の谷に佇む集落というコンセプトはもちろん、野鳥の森に抱かれたその立地条件や、その外観および内装が和モダンを指向する私どもの感性にぴったりとマッチしている。この方向性を基本として、選んだ土地の地勢をうまく読み解きながら敷地内の配置計画を練っていく。

(5)トータルでデザインされた家
 先行して家だけを建て、後でエクステリアを考えるとどうしてもそこに後付け感が出てきてうまくいかない。これは現住居での失敗から得た結論である。そこで今回は家(建物)・ガレージを含めたエクステリア・植栽の3つをトータルで事前にデザインし、それに沿って順次進めていきたいと考えている。この3つはバラバラに切り離して考えられるものではなく、相互に影響を与え合うためトータルでデッサンしてこそ、整合性が保たれるように思う。

こうしたコンセプトによって家造りを進めていく時、そこには建築家の介在が必須だと考えているが、その建築家の話は次回に。
[PR]
by cyril-aw11 | 2008-04-16 20:22 | 家造り全般

モチベーション

時の人、法華津 寛(ほけつ ひろし)さんを尊敬してやまない。1964年に開催された東京オリンピックに出場して障害飛越個人40位、同団体12位。その後馬場馬術に転向し、この度44年ぶりとなる北京五輪への出場(馬場馬術団体)を決めた67歳だ。
f0158627_16295740.jpg
日本選手としてはソウルオリンピックに馬場馬術で出場した井上喜久子を上回る史上最高齢ということで注目を集め、8日に開かれた記者会見でもマスコミの質問は当然そこに集中したが、育ちの良さあふれる風貌の法華津さんの受け答えが奮っていた。

「東京五輪から数えれば確かに44年ぶりだが、その間にロサンゼルス五輪の予選には出場していたし(代表補欠)、20年前のソウル五輪では実際に代表になって現地へ行っている(愛馬が検疫に引っ掛かり出場できず)。だから五輪は44年ぶりというより、20年ぶりという方が気持ちに合っている」と44年という数字のトリックを解き明かし、また67歳という最高年齢が注目を集めていることに関しては「ある意味、不本意。年齢で出場させてもらうわけではない。前より少しうまくなって出場できるという実感がある。ただ、よく考えれば67歳という年齢以外に私が騒がれるファクターはないので、今は受けいれてます」と笑わせた。

この中で頭が下がる思いだったのは、「今回は前回より少しはうまくなった」という発言だった。彼は2003年に家族を日本に残して技術向上のためにドイツに居を移しているが、その彼が「ヨーロッパに行ってから自分がうまくなっていると感じる。それがモチベーション維持に役立っている」という。こんなことが言える67歳は掛け値なしにカッコイイと思う。

競馬界のスーパースター武豊騎手が以前、滞在先のフランスでこう話してくれたことを思い出した。「毎年イギリスやフランスに乗りに来るのは、少しでも馬乗りがうまくなりたいから。ここには生まれた時から馬に乗っているようなうまいジョッキーがたくさんいるから、その中で乗ることはとても楽しいし、勉強になる。依頼さえあれば、ムチ一本だけ持って世界中を渡り歩くのがジョッキーという仕事。それに応えられるように、僕はいつも前の年の自分より少しでもうまくなりたいと思って馬に乗っている」。

天才と言われる彼がいくつになってもこうした努力を続ける限り、二番手にいるジョッキーたちにとって、その背中は限りなく遠いのではないだろうか。
[PR]
by cyril-aw11 | 2008-04-11 16:31 | 日常

ソメイヨシノ

念願だったPENTAXのK10Dを買った。レンズキットではなく本体のみで、レンズはTAMRONのAF18-250mm F/3.5-6.3 Di IIをチョイス。標準レンズと望遠レンズを持ち歩いて付け替えるといったことをしたくなかったので、一本で広角から望遠もこなせてそこそこF値のいいレンズを探した結果がこれだった。TAMRONはネームバリューこそないが、堅実にいい物を作るレンズメーカー。このレンズは28.8-400mm相当で画角が広く、非常に便利。やや重いため手ブレに注意が必要だが、K10Dには程度のいい手ぶれ補正機能が内蔵されているため全く問題なし。なかなかいい買い物だったと思っている。
f0158627_20405010.jpg

さて以前、軽井沢の新居にはソメイヨシノを植えたいという話をしたが、森の扉さんが調べてくれたところによると、どうやらNG。それでもやっぱりソメイヨシノには特別な思いがある。桜は日本人の情緒に最も訴えかける花だが、やはり「桜=ソメイヨシノ」と一般的にとらえられているのではないだろうか。そのものズバリのタイトルで母への想いを歌い上げたENDLICHERI☆ENDLICHERIの「ソメイヨシノ」はもちろんのこと、桜SONGの代表とも言えるケツメイシの「さくら」も描き出す情景に重なるのはソメイヨシノだろう。岩井俊二監督、松たか子主演の映画「四月物語」も桜の季節が来るたびに思い出す名作だ。ソメイヨシノの紅色ではなく、もちろんピンクなどではない、白に近い薄桃の花びらがはらりはらりと舞い落ちる様は、やはり日本の春の季語と言えるだろう。
f0158627_20382939.jpg

日本には野生種と栽培品種を合わせて約350種類もの桜があると言われ、栽培品種の最たるものが日本全体の8割とも9割とも言われるほど普及したこのソメイヨシノ(染井吉野)。これが野生種のエドヒガンとオオシマザクラの交配種だというのは有名な話だけど、この野生種が全部で9種類あるというのは知らなかった。

ヤマザクラ
オオヤマザクラ
カスミザクラ
エドヒガン
オオシマザクラ
マメザクラ
チョウシザクラ
ミヤマザクラ
タカネザクラ

建築時に伐採した樹木の代わりに建築後に植林するのだから、当然園芸種ではなく軽井沢の植生に合った野生種を植えることが望ましいのは疑いの余地がない。そう考えれば明らかに植生に合わず、さらに園芸種でもあるソメイヨシノではなく、この9種類の桜の中から植生に合ったものを選ぶべきだろう。でもやっぱり違うんだよなあ。新芽が出る前に咲くソメイヨシノと違い、軽井沢でも多く見られるヤマザクラは葉と同時か葉が出てから咲く。

咲き方が同じで花の形や色が比較的近いエドヒガン(写真)や、カスミザクラあたりが代替候補か。これを中心としつつ、それでもソメイヨシノも育ててみたい。
f0158627_1218505.jpg

少し歩けば桜並木がある今でさえ、どうしても手元に置いておきたくて、庭で1.2メール程のソメイヨシノの苗木を育てている。その花芽は開花を待っているところだ。
f0158627_11592132.jpg

[PR]
by cyril-aw11 | 2008-04-09 12:07 | 軽井沢

白樺や樹木が消えていく

先週末から昨日までぐずついた天気が続き、すっかり満開だった桜が散っていくのをセーブした形。今朝など何週間かぶりに地面には霜が降りていた上に、車の外気温計は0℃を記録した。軽井沢は雪模様だったようで、うらやましい限り。とは言え、今日から4月。寒冷地にも一日ごとに春が近づいてくることでしょう。

さて、その軽井沢。先月24日に08年の全国土地公示価格が発表されたが、地方では依然としてマイナス傾向が続いている中で、長野県内で唯一商業地・住宅地ともに上昇したのは軽井沢町の3地点だった。リゾ-トマンション開発及び商業施設建設が続く商業地では13.4%の上昇、住宅地も8.4%と0.7%の上昇となった。少し遡れば一番古い記録のある94年が最も高く、そこから年々地価は下降へ。05年にようやく下げ止まり、そこから3年連続でなだらかに上昇している。とは言ってもバブル期の地価には程遠い上に、リゾートマンションは供給過剰で、宅地分譲も新規のものは苦戦しているという話も聞くが、それでも大規模開発は続いている。7月上旬には千ヶ滝地区に隣接する、話題の「浅間テラス」がプリンスホテルによって分譲開始だという。坪単価的にこれも苦戦必至の代物だ。

いつも楽しみにしている「軽井沢ウェブ」の編集長コラムで、こうした乱開発の陰で消えていく樹木たちの話題が採り上げられていた。そこに掲載されている写真が訴えている惨状の寒々しさにはゾッとするばかりだ。確かに軽井沢という町は別荘地として発展してきたのだろう。が、唯一の売り物である自然を乱開発によって切り崩してしまえば、そこには何も残らないのではなかろうか。今進行していることは森の中で最低限の木を切らせてもらい、そこに溶け込んだ別荘を建てるという次元の話ではない。某掲示板で「300坪の土地の周囲を浅間石で区切って、周囲に木を植えて、建蔽率20%以内の別荘がどんなにたくさんできても誰も文句も言わないと思う」という論客がいたが、その通りだと思う。

全国でも有数の厳しさと言われる軽井沢町による様々な規制。それでも「どうしてここまで?」と思わせるような乱開発は続いている。そこには多くの抜け道が用意されているのだろうか?解せないことは多い。
[PR]
by cyril-aw11 | 2008-04-01 13:11 | 軽井沢