カテゴリ:軽井沢( 47 )

軽井沢の休日 その1

f0158627_18565982.jpg
唐突ですが、時々どうしてもラーメンを食べたくなることってありませんか(わざわざ軽井沢まで来てなぜラーメン?というのは置いといて)?軽井沢~御代田~佐久には結構な数のラーメン屋はあるものの、あまり「ここはウマイ!」という話を聞かない。

f0158627_18571227.jpg
友人が「ここはおいしいらしいよ」と挙げてくれたのが、この「麺ハウス 御代田店」。国道18号の三ツ谷東交差点を軽井沢方面に1分ほど走ったところにあった。

f0158627_18575697.jpg
この店の一番人気の看板メニューは「ねぎ味噌ラーメン」らしいのだが、「初めての店では塩ラーメンを食え!」という古人の格言?に従って「ねぎ塩ラーメン」を食した。味の好みは人それぞれなので多くは語らないが、ピリ辛のねぎが程よく効いていて私の好きな塩ラーメンの味だった。麺は太目のちぢれ麺でモチモチした食感。もう少し固めでもいいかも。餃子は家庭の味でこちらも好みだった。何より店員さんの感じがとてもいい。ハキハキと、そして笑顔での対応。店の印象は全てこれで決まると思う。

帰りに森の扉さんが紹介されていたおぎはら植物園」でいくつか花の苗を買って帰ろうと思ったのだが、連休中のR18はメチャ混み。

f0158627_18582133.jpg
さっさと断念し、「FLOWER FIELD GARDEN'S」に目的地変更。インチキガーデナーなので、そこまでこだわりがない(笑)。ここは軽井沢チャーチストリートの「FLOWER FIELD」の2号店で、ディスプレイもさすがにオシャレ。天気のいい日に、花を冷やかしながらブラブラするのは楽しいですね。

f0158627_18585349.jpg
本日の収穫。色とりどり。ピンが来ていないのはご愛嬌。
[PR]
by cyril-aw11 | 2008-10-13 19:07 | 軽井沢

メルシャン軽井沢美術館

f0158627_1762351.jpg
以前から行こう行こうと思いつつ、後回しになっていた「メルシャン軽井沢美術館」に行ってきた。とは言え、お目当ては美術館ではなく敷地内にあるウイスキー蒸留所の方(笑)。私は無類のウイスキー党であり、ずっと「BOWMORE」などのアイラモルトを愛飲してきたのだが、ある日「Ogosso」で「軽井沢12年」を飲んですっかり気に入ってしまい、ずっとこの蒸留所に足を運びたいと思っていたのだ。

この「軽井沢12年」、あまり量販店などで目にすることはないのだが、2001年にはロンドンにおける「インターナショナル・ワイン・アンド・スピリッツ・コンペティション(IWSC)」のワールドワイドウイスキー部門において金賞を受賞しているとのことだ。

f0158627_1792554.jpg
約300種類ものワインや蒸留所限定ウイスキーなどが並ぶメルシャンプラザでさっそく試飲。

f0158627_179403.jpg
銘柄は「軽井沢17年」だった。マイルドで旨い。運転手にさせられたため、せっかくのワインがテイスティングできない連れ合いは恨めしそうだった(笑)。その後、1955年開設の蒸留所の見学ツアーに向かう。約15分で製造工程をざっと見学できるこのツアーは、10:00/11:00/13:00/14:00/15:00/16:00の1日6回の開催。なかなかの盛況ぶりだった。

f0158627_17102462.jpg
この蒸留所では麦芽作りはしておらず、ピート(泥炭)が潤沢な本場・スコットランドから輸入、それを浅間山の水を使って精製する過程からのスタートだそうだ。軽井沢の(実際は御代田町だが)冷涼な気候と貯蔵樽に適度な湿気を授ける霧、そして天然のミネラル・ウォーターである浅間山麓の湧き水という3つの要素がスコットランドの風土と重なり、ウイスキー作りに適しているという。だがその軽井沢も木々の伐採や温暖化現象によって年々気温が上昇し、その蒸留に最適な環境が変化してきているのが気がかりだ。

f0158627_23101399.jpg
ベールのような蔦に覆われた木造の貯蔵庫で、ゆっくりと樽熟成を重ねる「軽井沢」。瓶詰めされるまでにその2%が蒸発するが、それをスコットランドの職人たちは「天使の分け前」と呼ぶそうだ。少し献上した分、天使たちがウイスキーに旨みを与えてくれるのだという。何とも洒落たネーミングではないか。

帰りにメルシャンショップに戻り、蒸留所限定のシングルカスク・モルトウイスキー「軽井沢VINTAGE13年」をチョイスして買ってきた。毎日の晩酌が楽しみである(笑)。
[PR]
by cyril-aw11 | 2008-10-05 23:03 | 軽井沢

星野リゾート、軽井沢町に商業施設 20億円投資

今朝の日経の企業面の記事ですが、星野リゾートが既存の所有敷地内にショッピングモールをオープンさせるとのこと。「星野よ、おまえもか!」という印象ですが、三井の森・千ヶ滝・鶴溜周辺の別荘族や住民は格段に便利になることでしょう。ツルヤへの一極集中も少しは解消されるかな?その一方で、ただでさえ造りの悪い中軽井沢駅周辺の渋滞・混乱には、一層拍車がかかるような気もしますが。以下、転載。

 ホテル運営の星野リゾート(長野県軽井沢町、星野佳路社長)は約20億円を投じ、軽井沢町の同社ホテル・温泉施設の隣接地にレストランや書店、雑貨店など約15店舗が入るショッピングモールを建設する。川辺の林の中に建物が点在する設計で、自然の中でゆったりと買い物や食事を楽しめることを売り物にする。今年秋に着工し来年7月に開業、年間40万人の集客増を見込む。

 約9000平方メートルの敷地に9棟を建設する。建物の延べ床面積は約1700平方メートル。レストランが5―6店舗、惣菜や雑貨、書籍などの物販・サービス店が9―10店舗、出店する予定。定住者や別荘滞在者の利用のほか、軽井沢を訪れる観光客を呼び込む。
[PR]
by cyril-aw11 | 2008-08-06 13:24 | 軽井沢

徳川家霊廟と増上寺

港区芝にある増上寺は徳川家の菩提寺として知られ、今も徳川将軍15代のうち6人(秀忠、家宣、家継、家重、家慶、家茂)、それに公武合体策から14代将軍家茂に嫁いだ皇女和宮などが葬られている。
f0158627_13273111.jpg

地図を見ればわかるが、この増上寺を東西に挟むようにそびえるのが東京プリンスホテルとザ・プリンスパークタワー東京である。この寺の東西に分かれる約3万坪はもともと徳川家の所有地であったが、堤康次郎のやり口のご多分に漏れず、戦後の混乱期に多額の税に苦しむ徳川家から二束三文で簒奪した。その土地の中には墓地もいくつか点在していた。かつて皇女和宮の廟があったのを取り壊した上に建てたのが現在の東京プリンスホテルであり、ザ・プリンスパークタワー東京の下にはかつて2代将軍・秀忠が眠っていた。

もちろん墓を取り壊す際には眠っている遺体をどこかに移さなければならず、徳川家の菩提寺である増上寺との間で協議が続いた。双方の弁護士によるこの移転問題協議は長引いたが仏の問題でもあり、「彼岸中の移転はしない」との申し合わせがあった。しかし早期に移転を完了してホテル着工を急ぎたい康次郎はこの協定を無視、彼岸の中日に和宮の墓を取り壊してしまい大問題に発展したのである。

結局のところ徳川家霊廟は増上寺に作られたが、「墓を撤去する」という「眠っている人に大変失礼なこと」を、「身内でもない人が」「決めて実行するということ」、すなわち「部外者が墓をどかそう」などという身内が「不愉快に」思うようなことを、すでにやってのけていたのが他でもない堤康次郎本人だったわけである。歴史は繰り返す、因果応報ということを感じずにはいられない。
[PR]
by cyril-aw11 | 2008-06-06 13:21 | 軽井沢

堤家と鎌倉霊園

週刊新潮」6/5号で面白い記事を見つけた。<「堤康次郎の墓を撤去しろ」で始まった西武の堤家完全追放>という特集だ。

一代で西武王国を築いた初代・康次郎の巨大な墓は、西武が開発した55万平方M以上もの公園墓地「鎌倉霊園」内にある。かつては毎年元旦に、ヘリコプターで駆けつける2代目・義明氏とともにグループ幹部500人が墓前に手を合わせた。また「感謝と奉仕」の社是を引き継ぐと称して「奉仕当番」なるものが存在した。これは西武グループ内の企業各社社員2名が毎日手弁当で墓地内にある休憩所に泊り込み、朝夕の「鐘つき」や清掃などの墓守りをするというもの。「にぎやかなのが好きだった先代が淋しがらないように」と義明氏が指示して始めたというから、どこまでも前時代的で公私混同も甚だしい。堤家の定義する「感謝と奉仕」とは社会や顧客に対するものではなく、あくまでも堤家に対してのものを意味するらしい。

西武グループ凋落のきっかけとなった2004年の西武鉄道株の虚偽記載事件。西武鉄道が上場廃止となりさらに義明氏が逮捕されると、メインバンクのみずほコーポレート銀行は再建の舵取りのために後藤高志氏を送り込んだ。義明氏に代わる現総帥で、西武鉄道並びにグループ持株会社である西武ホールディングスの社長である。彼を中心とした再建委員会は親会社のコクドを解体、新たにグループ全体の持株会社として西武HDを設立した。ここに外部ファンドなどから大きな出資を入れ、逆に旧コクドの株主をNWコーポレーションという新会社に移管。これによって旧コクドでは36%の筆頭株主だった義明氏は西武HDでは5%の比率に過ぎなくなり、その影響力を失うことになったのだ。

今回の記事はその後藤氏が義明氏に「西武はもはや堤家のものではないのだから、そういう人の墓がグループ企業の霊園にあるというのは、会社のコンプライアンス上おかしい」と初代の墓の撤去を通告したというもの。それに対して西武の元幹部たちは「墓を撤去するなんて、眠っている人に大変失礼なことじゃないですか。まして身内でもない人がそんなことを決めて実行するということであればなおのこと。部外者が墓をどかそうなんてことを考えるなら、そりゃあ我々だって不愉快に思いますよ」と怒り心頭だと記事は伝えている。

当の後藤氏は発言を否定しているし、真相がよくわからないのはいかにも新潮らしいのだが(笑)、それはともかくとしてこの話は因果応報を強く感じさせるものだった。それがどういうことなのかは次回に。
[PR]
by cyril-aw11 | 2008-06-05 16:04 | 軽井沢

スケートセンター閉鎖

信毎webを定期巡回していたら、西武グループの軽井沢開発の象徴とも言える「軽井沢スケートセンター」が閉鎖の方向で協議されているという記事を見つけた。堤一族による「西武王国」支配がわずか二代で完全に終焉を迎える証左としてとても興味深い。

軽井沢の開発・発展の歴史をひも解く上で、西武グループのプレゼンスは避けては通れない。初代となる堤康次郎は大正4年に中軽井沢駅の前身である沓掛駅に降り立ち、誰も手をつけなかった東長倉村の入会地60万坪(実測80万坪)を村長に掛け合い、彼自身の言葉を借りれば「刑務所の入り口までは行くが、中には入らない」というかなり危うい方法で手に入れた。彼は庶民の時代の到来を先読みした「五百円別荘」の販売を開始、隣接する星野温泉に逗留しながら理想の王国作りを進めて行った。

戦後、臣籍降下により財政的に逼迫した朝香宮の別荘を足許を見たやり方で買い上げ、これに宮家を意味する「プリンス」を冠したのが「千ヶ滝プリンスホテル」だった。プリンスホテルのマークが菊の御紋に限りなく似ているのはそういうことなのだ。

父・康次郎が作り上げた「王国」に本物の皇室を招こうとした後継者・義明は、皇室専用の千ヶ滝プリンスホテルの代わりに御用邸招致を画策しするが失敗。次いで長男・正利と紀宮の結婚を企てるもこれにも失敗した。度重なる失敗の後、義明が失脚したことでこの千ヶ滝の一等地は原野に戻りつつある。ちなみに彼が証券取引法違反などで逮捕されるまで隠れていたのがこの千ヶ滝プリンスホテルに隣接する別荘で、彼はこれを最後まで一緒に逃避行していた愛人の元秘書に譲っている。

このように軽井沢開発の歴史は、ドロドロとした堤家の歩みとほぼ重なっている。閉鎖が検討されているスケートセンターは、初代・康次郎による「冬の軽井沢に客を呼ぶ方法を考えろ」という宿題に対する義明の回答だった。そしてそれは見事に当たった。軽井沢でスケートをするというのが憧れであり、ステータスであった時代が確かにあったのだ。

これをきっかけに彼は全国的にスキー場やゴルフ場を次々と開発、このスケートセンターが西武グループによるレジャー産業の礎だと言っていい。その礎が墓標に変わるということは、やはり西武グループがもはや堤家の物でなくなったことを如実に物語っている。
[PR]
by cyril-aw11 | 2008-05-22 22:53 | 軽井沢

軽井沢のGW

GWの前半を軽井沢で過ごしてきました。今ではお盆よりもGWの混雑の方が激しいという話を聞きかなりビビっていたのですが、前半の平日部分での滞在だったこともあってやや拍子抜け。18号に渋滞はなく、夕食にあぶれることもなし。それでも3日の朝はすでに銀亭は混み合い、ツルヤ渋滞も起こっていました。ツルヤ恐るべし・・・。まあ普段から走るのは裏道ばかりなのであまり影響はないのですが。

今年は入間にアウトレットパークができたことで軽井沢への人の流れがやや殺がれているとか。まあそれに対抗して西武も秋にはプリンスショッピングプラザを増床させますし、もともと軽井沢と入間ではその立地環境も大きく違うのであまり関係ない気もします。不動産屋さんのお話では、今の軽井沢の大きな混雑時期はGW後半、10月の3連休、紅葉時期の週末の3回だそうです。これに準ずるのが、お盆と秋のプリンス・セール時期でしょうか。

タリアセンの桜が見頃でした。ここのはみんなヤマザクラかな?
f0158627_15104356.jpg

謎のオカリナを売っている露店?で昼寝していたニャンコ。
こういうのを見つけると撮らずにいられない(笑)。
f0158627_15115567.jpg


小諸に足を伸ばしたついでに懐古園へ。天気が悪かったのが残念。
f0158627_15163345.jpg

ここの桜の見頃には1週間は遅い感じでしたが、それでも枝垂れがきれいでした。
f0158627_15182789.jpg

ここでもニャンコを(笑)。
しかしこの山城館、旅館となっているけど懐古園の中に泊まれるの?
f0158627_15204370.jpg

[PR]
by cyril-aw11 | 2008-05-05 15:31 | 軽井沢

ソメイヨシノ

念願だったPENTAXのK10Dを買った。レンズキットではなく本体のみで、レンズはTAMRONのAF18-250mm F/3.5-6.3 Di IIをチョイス。標準レンズと望遠レンズを持ち歩いて付け替えるといったことをしたくなかったので、一本で広角から望遠もこなせてそこそこF値のいいレンズを探した結果がこれだった。TAMRONはネームバリューこそないが、堅実にいい物を作るレンズメーカー。このレンズは28.8-400mm相当で画角が広く、非常に便利。やや重いため手ブレに注意が必要だが、K10Dには程度のいい手ぶれ補正機能が内蔵されているため全く問題なし。なかなかいい買い物だったと思っている。
f0158627_20405010.jpg

さて以前、軽井沢の新居にはソメイヨシノを植えたいという話をしたが、森の扉さんが調べてくれたところによると、どうやらNG。それでもやっぱりソメイヨシノには特別な思いがある。桜は日本人の情緒に最も訴えかける花だが、やはり「桜=ソメイヨシノ」と一般的にとらえられているのではないだろうか。そのものズバリのタイトルで母への想いを歌い上げたENDLICHERI☆ENDLICHERIの「ソメイヨシノ」はもちろんのこと、桜SONGの代表とも言えるケツメイシの「さくら」も描き出す情景に重なるのはソメイヨシノだろう。岩井俊二監督、松たか子主演の映画「四月物語」も桜の季節が来るたびに思い出す名作だ。ソメイヨシノの紅色ではなく、もちろんピンクなどではない、白に近い薄桃の花びらがはらりはらりと舞い落ちる様は、やはり日本の春の季語と言えるだろう。
f0158627_20382939.jpg

日本には野生種と栽培品種を合わせて約350種類もの桜があると言われ、栽培品種の最たるものが日本全体の8割とも9割とも言われるほど普及したこのソメイヨシノ(染井吉野)。これが野生種のエドヒガンとオオシマザクラの交配種だというのは有名な話だけど、この野生種が全部で9種類あるというのは知らなかった。

ヤマザクラ
オオヤマザクラ
カスミザクラ
エドヒガン
オオシマザクラ
マメザクラ
チョウシザクラ
ミヤマザクラ
タカネザクラ

建築時に伐採した樹木の代わりに建築後に植林するのだから、当然園芸種ではなく軽井沢の植生に合った野生種を植えることが望ましいのは疑いの余地がない。そう考えれば明らかに植生に合わず、さらに園芸種でもあるソメイヨシノではなく、この9種類の桜の中から植生に合ったものを選ぶべきだろう。でもやっぱり違うんだよなあ。新芽が出る前に咲くソメイヨシノと違い、軽井沢でも多く見られるヤマザクラは葉と同時か葉が出てから咲く。

咲き方が同じで花の形や色が比較的近いエドヒガン(写真)や、カスミザクラあたりが代替候補か。これを中心としつつ、それでもソメイヨシノも育ててみたい。
f0158627_1218505.jpg

少し歩けば桜並木がある今でさえ、どうしても手元に置いておきたくて、庭で1.2メール程のソメイヨシノの苗木を育てている。その花芽は開花を待っているところだ。
f0158627_11592132.jpg

[PR]
by cyril-aw11 | 2008-04-09 12:07 | 軽井沢

白樺や樹木が消えていく

先週末から昨日までぐずついた天気が続き、すっかり満開だった桜が散っていくのをセーブした形。今朝など何週間かぶりに地面には霜が降りていた上に、車の外気温計は0℃を記録した。軽井沢は雪模様だったようで、うらやましい限り。とは言え、今日から4月。寒冷地にも一日ごとに春が近づいてくることでしょう。

さて、その軽井沢。先月24日に08年の全国土地公示価格が発表されたが、地方では依然としてマイナス傾向が続いている中で、長野県内で唯一商業地・住宅地ともに上昇したのは軽井沢町の3地点だった。リゾ-トマンション開発及び商業施設建設が続く商業地では13.4%の上昇、住宅地も8.4%と0.7%の上昇となった。少し遡れば一番古い記録のある94年が最も高く、そこから年々地価は下降へ。05年にようやく下げ止まり、そこから3年連続でなだらかに上昇している。とは言ってもバブル期の地価には程遠い上に、リゾートマンションは供給過剰で、宅地分譲も新規のものは苦戦しているという話も聞くが、それでも大規模開発は続いている。7月上旬には千ヶ滝地区に隣接する、話題の「浅間テラス」がプリンスホテルによって分譲開始だという。坪単価的にこれも苦戦必至の代物だ。

いつも楽しみにしている「軽井沢ウェブ」の編集長コラムで、こうした乱開発の陰で消えていく樹木たちの話題が採り上げられていた。そこに掲載されている写真が訴えている惨状の寒々しさにはゾッとするばかりだ。確かに軽井沢という町は別荘地として発展してきたのだろう。が、唯一の売り物である自然を乱開発によって切り崩してしまえば、そこには何も残らないのではなかろうか。今進行していることは森の中で最低限の木を切らせてもらい、そこに溶け込んだ別荘を建てるという次元の話ではない。某掲示板で「300坪の土地の周囲を浅間石で区切って、周囲に木を植えて、建蔽率20%以内の別荘がどんなにたくさんできても誰も文句も言わないと思う」という論客がいたが、その通りだと思う。

全国でも有数の厳しさと言われる軽井沢町による様々な規制。それでも「どうしてここまで?」と思わせるような乱開発は続いている。そこには多くの抜け道が用意されているのだろうか?解せないことは多い。
[PR]
by cyril-aw11 | 2008-04-01 13:11 | 軽井沢

みなさんに質問

今日で2月も終わり。一年で一番寒い月から、眠っていた生命が芽吹き始める月へと変わる。軽井沢に居を移すと決め、本格的に土地探しを始めてから早4ヶ月。もともとかなり不動産屋さん泣かせの厳しい条件で探しているため、現在市場に出回っていて自分の要求に少しでもかすっているような物件はほぼすべて見たのではないかと思う。多くの業者さんを掛け持ちで回っているわけではないので、専属や売主といった物件は見れていないけれど、まあそれは現時点であまり考えなくていいように思う。

で、煮詰まってます(笑)。100%自分の要求に合致する土地などないことはわかっている。どうしても譲れないところと、まあ妥協していいところに優先順位をつけて選別していく作業なのだが、だんだんその境界があいまいになってくる。ある友人は土地探しの際、不動産屋さんから「70%気に入ったら決めることをお勧めしています」と言われたそうだ。

言わんとするところはよくわかるのだが、数値やグラフでピシッと割り切れたり答えが出たりするものではないだけに、そもそも何をもって70%とするかもわからなくなってきてしまう。まさにデフレスパイラルのようなもので(笑)、心が弱ってくるから知らず知らずのうちに何とか妥協して決めてしまおうという気持ちが自分を支配し始めていく。連日朝から晩まで取調べを受けている拘留者が、現状から逃れて楽になりたい一心で「私がやりました」と嘘の自白をしてしまうような、そんな感じだろうか。

先日あちこち見て回った際もそんな気持ちから、無理やり自分を納得させようとしていたらしい。そんな欺瞞に気がついたのは、帰り際に寄らせてもらった友人宅のリビングから広がる風景を見た時だった。自分はこういう「約束の地」で、こんな風に木々を眺めながら暮らすために、軽井沢に移住しようと決めたんじゃなかったのか?自分の家を建てるのは通常一生に一回のことで、その立地というのはどうやっても後から取り替えが効かない極めて重要なものだ。今、夢を見なくていつ見るんだ?と。

これまで様々な物件を見てきてわかったこと。
・平坦地では自分の要求を満たせない。
・眺望の取れる傾斜地だったとしても、隣接の区画と建設位置が並んでしまうような
 ところはNG。300坪では隣との距離が近くなるので坪数の大きなところにするか、
 もしくはうまく隣地と建設位置がずれるような地勢のところにする。

そこで家を建てた諸先輩方に質問です。
質問1 軽井沢に家を建てようと決めてから、どのくらいの期間土地探しをしましたか?
質問2 最終的にいくつの土地が候補に残りましたか?
質問3 現住居の土地を選んだ決め手は何ですか?
質問4 予算は当初決めていたものからオーバーしましたか?ダウンしましたか?
質問5 最初に描いていた土地像と今の土地はかなりの部分で重なっていますか?

ふとみなさんのケースをお聞きしてみたくなりました。
[PR]
by cyril-aw11 | 2008-02-29 13:27 | 軽井沢