スケートセンター閉鎖

信毎webを定期巡回していたら、西武グループの軽井沢開発の象徴とも言える「軽井沢スケートセンター」が閉鎖の方向で協議されているという記事を見つけた。堤一族による「西武王国」支配がわずか二代で完全に終焉を迎える証左としてとても興味深い。

軽井沢の開発・発展の歴史をひも解く上で、西武グループのプレゼンスは避けては通れない。初代となる堤康次郎は大正4年に中軽井沢駅の前身である沓掛駅に降り立ち、誰も手をつけなかった東長倉村の入会地60万坪(実測80万坪)を村長に掛け合い、彼自身の言葉を借りれば「刑務所の入り口までは行くが、中には入らない」というかなり危うい方法で手に入れた。彼は庶民の時代の到来を先読みした「五百円別荘」の販売を開始、隣接する星野温泉に逗留しながら理想の王国作りを進めて行った。

戦後、臣籍降下により財政的に逼迫した朝香宮の別荘を足許を見たやり方で買い上げ、これに宮家を意味する「プリンス」を冠したのが「千ヶ滝プリンスホテル」だった。プリンスホテルのマークが菊の御紋に限りなく似ているのはそういうことなのだ。

父・康次郎が作り上げた「王国」に本物の皇室を招こうとした後継者・義明は、皇室専用の千ヶ滝プリンスホテルの代わりに御用邸招致を画策しするが失敗。次いで長男・正利と紀宮の結婚を企てるもこれにも失敗した。度重なる失敗の後、義明が失脚したことでこの千ヶ滝の一等地は原野に戻りつつある。ちなみに彼が証券取引法違反などで逮捕されるまで隠れていたのがこの千ヶ滝プリンスホテルに隣接する別荘で、彼はこれを最後まで一緒に逃避行していた愛人の元秘書に譲っている。

このように軽井沢開発の歴史は、ドロドロとした堤家の歩みとほぼ重なっている。閉鎖が検討されているスケートセンターは、初代・康次郎による「冬の軽井沢に客を呼ぶ方法を考えろ」という宿題に対する義明の回答だった。そしてそれは見事に当たった。軽井沢でスケートをするというのが憧れであり、ステータスであった時代が確かにあったのだ。

これをきっかけに彼は全国的にスキー場やゴルフ場を次々と開発、このスケートセンターが西武グループによるレジャー産業の礎だと言っていい。その礎が墓標に変わるということは、やはり西武グループがもはや堤家の物でなくなったことを如実に物語っている。
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by cyril-aw11 | 2008-05-22 22:53 | 軽井沢
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