偉大なるスーパーサブは空へ

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プロ野球、読売ジャイアンツの木村拓也・内野守備走塁コーチがクモ膜下出血で亡くなった。享年39歳。大のG党である私だが個人的に応援しているのはこのキムタク、大道、鶴岡の職人3人衆で、それだけにショックは大きい。

日本ハム~広島~巨人と3チームを渡り歩いた職人は投手以外のすべてのポジションを守れる上に、4番以外のすべての打順を経験したスイッチヒッターというまさにユーティリティープレイヤーであったが、元よりそうだったわけではない。高校からドラフト外で日本ハムに入団当初は遠投120メートルで鳴らす強肩捕手であったが、本人曰く「何とか試合に出たくて試合に出るにはどうすればいいかを考え、チームで空いているポジションを探してそこに入るために練習した」成果であったのだ。

これは非常に示唆に富む言葉ではないだろうか。野球の世界に限らず、とかく物事の結果が出ないことや自分が重用されないことを上司の無能に転嫁し、居酒屋で愚痴を言うことで紛らわせがちだが、そんなことをしている暇があるならキムタクのように「どうすれば自分を上司の目に留まるようにアピールできるか、自分はどんな形だったらチームに貢献できるのか」を徹底的に掘り下げ、その方向に注力すべきなのだと思う。自戒の念をこめて。

キムタクのプレーで一番印象深いのは、昨年9月4日の対ヤクルト戦。ベンチ入りの3人の捕手が交代と負傷でいなくなるという予期せぬ事態が起こった延長12回表、プロ入り後はあまりつくことのなかった捕手のポジションに10年ぶりについた試合だった。「いつも後ろ(本職のセカンド)から見ているので、どんな球を持っているかはわかっていた」と準備を怠らない彼は自らサインを出して投手陣をリードし、見事なキャッチングで一度もミスを犯すことなくチームの窮地を救ったのだ。戻ってくるキムタクを原監督はベンチから飛び出して迎え、彼の肩をうれしそうに何度も叩いて活躍を讃えた。その光景が目に焼きついて離れないが、本当にこの試合が心に残った理由はその後にあった。

ひとつは試合後のインタビューで「もういいです」と言ったこと。ぼんやり聞いているとやっぱり捕手はキツかったんだなあで終わってしまうが、常に貪欲に自分で仕事を取りに行く彼が本気でそんなことを言うわけがないことをキムタクファンは知っている。実際、スタッフの少なかったアテネ五輪や捕手2人制を敷いていた2007年シーズンには正捕手が欠場や途中交代した際は自らブルペンに入って捕手としての出場に備えていたというし、この試合でも自らマスクを被り原監督に出場をアピールした彼だ。ではなぜそんな弱音を吐いたのか。広島時代の監督だった達川は「タクの性格から本職の捕手を立てるための気配り」と絶賛したが、恐らくこれが真相だろうと思う。このあたりが彼がどのチームでも、誰からも愛される由縁なのだ。

もうひとつは、彼がこの試合の後からキャッチャーミットも用意するようになったということ。ユーティリティープレイヤーの彼は常にどのポジションでも出られるように5種類のグラブ(一塁手用、二塁手・遊撃手兼用、二塁手・遊撃手兼用予備、三塁手用、外野手用)を持ち歩いていたが、キャッチャーミットは持っていなかった。そのためこの試合では捕手の鶴岡から借りたのだが、プロ意識の高い彼はそれをきっと自分の準備不足と捉えたのではないだろうか。他人を決して責めず、自分を責める。このあたりにプロ野球界初のスーパーサブと言われた彼のプライドが感じられてならない。

彼なくして今のジャイアンツはなかった。ありがとう。
心からご冥福をお祈りします。
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by cyril-aw11 | 2010-04-08 17:10 | 趣味
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