緊急捜索願!愛猫にゃんた♂6歳を探しています。

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緊急捜索願!にゃんた♂6歳を探しています。

場所は湘南です。お近くの方、バナーを貼って下さる方、ご協力をお願いします。
http://annphoto.net/nyantasousaku/nyanta-sousaku.html

周ちゃんとお別れをしたばかりなのに、またもや悲しいお話をしなければならない。私が一方的なファンでよくサイトを見せていただいているANNさんの愛猫にゃんた君(オス、6歳)が失踪(?)してしまった。(?)というのは、上記のリンクを見ていただければわかるが、かなり人為的な臭いが濃いからなのだ。7年間、ただの一度も失踪などしたことのないお利口な子だ。

老衰や病死での別れだってもちろん辛い。看取る側としては身体の一部をもぎ取られるような痛みを伴うものだ。しかしそれは運命でもあり、いつかは必ずやってくる。だからこそ一日一日が彼らにとって素晴らしいものであるように、人生をともに生きていくのだろう。だから看取られる側は、愛する人たちの腕の中でお別れできることが最高の幸せなんだろうと思う。

しかし心ない人間の手によって、突然命を奪われることは決して運命ではない。これもサイトを見ていただければわかることだが、ANNさんは本当に心が優しくて、常に世の中をすべてのものを愛情あふれた視点から写真という手段で切り取り、コメントをされている方。私のようについ感情的に物事を斬りがちな者からみれば、「こんな人間でありたい」というお手本のような方なのだ。なぜそんないい人が苦しめられなければならないのか。

にゃんた君はANNさんにとって、「猫の着ぐるみを着ていただけで、私の子供でした」という存在であり、これは動物という形を纏ったパートナーを愛する、すべての人たちが等しく抱いている感情ではないだろうか。

いろいろと人間に不都合なこともあるかもしれない。一手間、二手間かけさせられることだってきっとあるだろう。それでも猫に限らず、動物たちが自由に闊歩できないような閉塞感溢れる町で、人間だって幸せに暮らすことができるのだろうか?陽だまりで目を細めて丸くなる猫たちを見かけて、ついみんなに笑みがこぼれるような温かな社会はもう「三丁目の夕日」の中だけのことなのだろうか?村上春樹の言う「小確幸」、小さくても確かな幸せとはそんなところにあるのではないだろうか?

私は人間が他の命あるものに対して、ほんの少しの犠牲を払うことをも厭う気持ちを憎む。私は他者の幸せに思いを馳せることをせずに、それを利己的に奪う者を憎む。そして、それらを許容してしまう社会を憎む。

せめて、にゃんた君がANNさんの腕の中でお別れを言えますように。
もし神様がいるのなら、お願いします。
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by cyril-aw11 | 2009-03-02 12:02 |
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