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森のラブレター

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昨日放送された「感動!北の大自然スペシャル 森のラブレター」(TBS)はなかなか見応えがあった。ずっと楽しみにしていたものだ。

「北の国から」で知られる脚本家の倉本聰が主宰する「富良野自然塾」が主なる舞台。彼は平成17年に閉鎖された富良野プリンスホテルゴルフコースを、昔の森に還す事業を進めていることで知られる。彼が言う通り、森に還すとは単に植樹をすることではない。近隣の森から種や実生や若苗を採取し、移植可能な時期まで育てて初めて地面に植えつけるという忍耐と歳月の遠大な作業であり、それでもうまくいくかどうかは誰にもわからない未来だ。大企業にとって山や森の木々を皆伐し、そこに生きるすべての生物ごとブルドーザーで薙ぎ倒してゴルフ場を造ることは非常に簡単な作業だが、その逆をやろうとするとどれだけ大変なことかは計り知れないものがある。まさに「壊すは一瞬、造るは…」だ。

富良野自然塾で興味深かったのは「地球の道」という体験型ディスプレイ。46億年の地球の歴史を460メートルに縮尺して作った小道で、爆発して熱くなったり、その反動で氷河期が来たりを繰り返してきた地球の歴史を歩きながら学べるものだ。これによれば人類が栄華を極めた産業革命以降のここ200年は、わずか0.02ミリに過ぎない!このたった0.02ミリの中で人類は傍若無人にふるまってきたのだ。長い年月をかけて蓄積されてきた化石燃料を使い尽くし、自然を恣意的に変化させ、多くの生物を絶滅に追いやってしまった。46億年の歴史から見ればほんのミリ以下の出来事だから、人類が死に絶えればすぐに元に戻ることは想像に難くないが、それでは「人類の叡智」とやらはどこにあるのかということになってしまう。

もうひとつ、今さらながら驚かされたのは自然環境の絶妙なバランスだ。例えばミズナラの木は葉によってだけではなく、木全体で効率よく根元に雨水を送れるように、すべての枝の角度が神によって計算されている。これによって枝も幹も雨水の流れる川となり、ミズナラの立つ地面は常に土のスポンジのようになっていく。そこに落ちた葉が微生物や小動物を育み、彼らがさらに肥沃な土地を造っていく。余談になるがそのシステムを知っているからこそ、皇居の庭では一切の落ち葉掃きをしないという。落ち葉は人間が掃除などしてはいけないのだ。

さて、森から湧き出した水はいつしか川となる。川は上流から豊富な岩石や砂利を下流へと運ぶ。産卵のために川を上ってきた鮭はそうして運ばれてきた川底の砂利を掃き、産卵し、流されたり外敵に捕食されたりしないよう、再び砂利をかけて力尽きる。その亡骸を鳥や動物たちが食べるのだ。パーフェクトな連鎖である。

こうしたパーフェクトな連鎖を阻害する人間の行為は数え切れないほどあるが、卑近な例がゼネコン主導の乱開発としてのコンクリートダム建設である。当然のことだが、コンクリートで川が堰き止められれば砂利はもはや新たに下流へ運ばれなくなる。川底には泥だけとなり、砂利の代わりに泥をかけられた卵は窒息し、孵化することはない。後は推して知るべしだ。

長野県は2001年12月、当時の田中康夫知事が「脱ダム宣言」をし、長野モデルを全国へと発信した。彼のエキセントリックな多くの取り組みは様々な物議を醸したが、総じて理に適っていたし、「真っ当な方向」を向いていたように思う。当時副知事として田中を補佐し、現在横浜副市長を務める阿部守一も「驚かされることも多かったが、タブーなく従来の発想を簡単に飛び越える発想に納得させられることが多かった」旨を述べている。2007年2月に現知事の村井仁が「脱・脱ダム宣言」をしたことですべては失われてしまったが、昨年の国の大戸川ダム建設計画を滋賀・京都・大阪の三知事がトップダウンで白紙撤回した件を見るにつけ、田中の先見性と確かな方向性が窺える。

倉本聰が紹介していた南米のアンデス地方に伝わる「ハチドリのひとしずく」という古いお話。我々ひとりひとりがハチドリになれるかどうか。すべてはそれにかかっている。
by cyril-aw11 | 2009-02-12 16:55 | 自然・環境
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